11年目の摂食障害〜初のブログ〜
2005年12月19日 日常ブログ上に日記を書くのは初めてである。
私は14歳の時始めたダイエットがきっかけで摂食障害に
なった。24歳、女。ダイエット方法は1日2Lの水を飲み、
食事制限をしながらウォーキングするという至って普通に
あるものだった。
ダイエットを始めたのは、或る日中学校にあった全身を映す
鏡を見て、「何て顔が丸いんだ、足が太いんだ、全てが太すぎる!」と正視に堪えられなかったからである。
また、小さい頃から父親に「豚」「デブ」、その他差別用語で
罵られてきた。幸いにも今は親が離婚して母と住んでいるから
他にも沢山有る父からの精神的虐待からは逃れられた。
小さい頃からの傷については後々述べていこうと思う。
そして今。毎晩過食嘔吐に苦しんでいる。世間の目で言えば
贅沢病・我侭病と見なされるのであろう。しかし、
根源にある幼児期からの問題が、たまたま神経症である
摂食障害となって現れたのだと感じている。
今まで、トイレで嘔吐していた。喉のぎりぎりまで食べ物を
押し込んで吐き出す。しかし先日大家と業者(男)が来て
家のトイレと繋がっている浄化水槽へのマンホールの蓋を開け、
「お前はまだ残飯を流しよったんか!吐くくらいなら食うな!」
等様々な罵倒を浴びせられ、吐瀉物を見せ付けられながら
散々怒鳴られた。
私が住んでいる借家は6棟連なっていて、下水の路も繋がり、
まとめて浄化水槽に溜められ、ポンプ車が汲み上げるという旧式
のものである。10年間、トイレに流し続けてきて、
吐く時に様々な恨み辛み・憎しみ共に自分の中から出して来ていた。そしてそれが水と共に流れていく事に意味があった。それが突然断ち切られた形になった。トイレが詰まるという事は恐怖でもあるからだ。
今は、お風呂場でゴミ袋に吐き出し、ゴミの日まで溜めるという
状態である。私の黒々とした憎しみが詰まったそれは残り、
溜まり続けるのである…耐えられない。そしてお風呂場は寒く
その後の掃除がとても大変で低血糖を起こし何度も倒れかけた。
今までも、今も、これからも救いなんて無いと思う。
過食をしない時は全く食べ物を口にしない状態で、どんどんと
痩せて体力は落ちていくばかり。
私の願いは、普通に3食食べて、時に外食もして
「お腹一杯。美味しかったね」「今日は○●が食べたいね」
と何の罪悪感も抱くことなく言える様になりたいという事。
11年目に入るこの病気に、いつ終わりが来るのか解らない。
30歳が1つの目安である。30歳で自然と症状が消えていくか、
そのまま症状が続いていくか、死ぬか(この場合自殺が多い)
という3択が専門家の言う見解である。
私が思うに、自分が消えて無くなるまで続くとしか思えない。
けれども、私が此処でブログを始めるにあたり日々微妙な
変化を続ける心や精神に焦点を当てたいと思った。
そしてまた、同じ病気に苦しむ人にも1つの例として私の
症状を知ってもらいたいと感じている。
その他自己紹介についても後々此処に記したいと思う。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
私は14歳の時始めたダイエットがきっかけで摂食障害に
なった。24歳、女。ダイエット方法は1日2Lの水を飲み、
食事制限をしながらウォーキングするという至って普通に
あるものだった。
ダイエットを始めたのは、或る日中学校にあった全身を映す
鏡を見て、「何て顔が丸いんだ、足が太いんだ、全てが太すぎる!」と正視に堪えられなかったからである。
また、小さい頃から父親に「豚」「デブ」、その他差別用語で
罵られてきた。幸いにも今は親が離婚して母と住んでいるから
他にも沢山有る父からの精神的虐待からは逃れられた。
小さい頃からの傷については後々述べていこうと思う。
そして今。毎晩過食嘔吐に苦しんでいる。世間の目で言えば
贅沢病・我侭病と見なされるのであろう。しかし、
根源にある幼児期からの問題が、たまたま神経症である
摂食障害となって現れたのだと感じている。
今まで、トイレで嘔吐していた。喉のぎりぎりまで食べ物を
押し込んで吐き出す。しかし先日大家と業者(男)が来て
家のトイレと繋がっている浄化水槽へのマンホールの蓋を開け、
「お前はまだ残飯を流しよったんか!吐くくらいなら食うな!」
等様々な罵倒を浴びせられ、吐瀉物を見せ付けられながら
散々怒鳴られた。
私が住んでいる借家は6棟連なっていて、下水の路も繋がり、
まとめて浄化水槽に溜められ、ポンプ車が汲み上げるという旧式
のものである。10年間、トイレに流し続けてきて、
吐く時に様々な恨み辛み・憎しみ共に自分の中から出して来ていた。そしてそれが水と共に流れていく事に意味があった。それが突然断ち切られた形になった。トイレが詰まるという事は恐怖でもあるからだ。
今は、お風呂場でゴミ袋に吐き出し、ゴミの日まで溜めるという
状態である。私の黒々とした憎しみが詰まったそれは残り、
溜まり続けるのである…耐えられない。そしてお風呂場は寒く
その後の掃除がとても大変で低血糖を起こし何度も倒れかけた。
今までも、今も、これからも救いなんて無いと思う。
過食をしない時は全く食べ物を口にしない状態で、どんどんと
痩せて体力は落ちていくばかり。
私の願いは、普通に3食食べて、時に外食もして
「お腹一杯。美味しかったね」「今日は○●が食べたいね」
と何の罪悪感も抱くことなく言える様になりたいという事。
11年目に入るこの病気に、いつ終わりが来るのか解らない。
30歳が1つの目安である。30歳で自然と症状が消えていくか、
そのまま症状が続いていくか、死ぬか(この場合自殺が多い)
という3択が専門家の言う見解である。
私が思うに、自分が消えて無くなるまで続くとしか思えない。
けれども、私が此処でブログを始めるにあたり日々微妙な
変化を続ける心や精神に焦点を当てたいと思った。
そしてまた、同じ病気に苦しむ人にも1つの例として私の
症状を知ってもらいたいと感じている。
その他自己紹介についても後々此処に記したいと思う。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
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